「ロイドさん!」

 突如聞こえた同僚の声に、机で突っ伏していたロイドはのろのろと顔を上げた。

「なぁに? セシルくん」
「何じゃありません! ちゃんと仕事をして下さい!」

 呆れと怒りを含んだ声で一喝するセシルに、やってるよぉ、と抗議してロイドは再び突っ伏した。
 どこがやってるんだか、とセシルはため息をつく。

 いや、少なくとも最低限自分が受け持つ仕事はやっているから、仕事はしていることになるのだろう。
 しかし、一応特派の責任者である彼にはそれ以外にもやってほしいことが沢山あるのだ。惰性に突っ伏している暇などない。

「もう、どうしたんですか? ロイドさん、最近変ですよ」

 つい数ヶ月前まではナイトメアフレームの事しか頭にないと断言出来る程にのめり込み、寝る間も惜しんで開発に勤しんでいたのに、いつしか通常勤務の時間が終わるといそいそと帰るようになり、ついには今のような脱力状態。


 異常だ。明らかにこれは異常だ。


 やはり医者に行かせた方がよかったのだろうか。いや、まだ遅くはないかも……、と思案しているセシルの耳に、ピピピと機械音が響いた。

「あ、通信」

 慌ててセシルが部屋の外へと向かう。
 ロイドは何の反応もせず、ただ目を閉じて思いを馳せた。





 一ヶ月、だ。
 自分の世界から、いや、少なくとも心の中に彼はいるから、『日常』から彼が消えて、一ヶ月。なのに、ロイドの中では非道く長い月日に感じる。

 可笑しなものだ。そもそも、ルルーシュがいた日々こそが非日常だったのだ。それが、ただもとに戻った。それだけ。

 だのに、何故世界はこんなにも暗く、つまらないのか。

 前には周りが見えなくなるほどに熱中していたKMFにも、今はそれほど執着が沸かない。
 それよりも美しい輝きを、見出だしてしまったから。それに焦がれ、浅ましくも未練がましく求めてしまうから。


 しかし、いつまでもこんな状態ではいられない。
 自分は特派の責任者なのだ。いい加減割り切らねば。
 決して手の届かない星へと無様に縋る自分など、昔のロイド自身が見たら鼻で笑うだろう。

「……」

 そうは思えど、身体は中々動かない。
 なるほど、自分はそこまで彼に依存していたのかと、ロイドは内心自嘲した。





(―――あれ?)

 ふと意識を現に戻すと、部屋の外が自棄に騒がしいことに気が付いた。バタバタと慌ただしく走る音。こちらにまで聞こえる程動揺したような大声。
 しかし残念ながら、ロイドが今いるのは彼専用の個室である為、何が起きているかは分からない。

(ま、どーでもいいけど)

 はぁ、と対して気にもとめず再び突っ伏すと、それと同時にひどく慌てた様子のセシルが駆け込んできた。

「ロ、ロイドさんっ!」
「今度はなにさ、セシルくん」
「何じゃなくって…! あなた、一体何やらかしたんですか!?」
「はぁ?」

 やらかしたって……何かやったのだろうか、自分は。
 確かに過去KMFに夢中になるあまり周囲に迷惑をかけたことは間々あったが、もう今は時効だろう(と、勝手に結論づける)。
 最近は最近で特に目立った行動――少なくとも周りに被害が及ぶようなこと――はしていない気がするし、どちらかといえばやらかされた方ではなかろうか。

 結局いくら考えても思い当たる節はなく、「うーん」と唸るとロイドは億劫そうに口を開いた。

「たぶんないと思うんだけどなぁ。分かんないなぁ……」
「ロイドさんっ! 何があったか知りませんけど、しゃきっとしてくださいよ! 折角あの方が……ってああもう! とにかく早く来て下さいっ!」

 反論の隙を与えず早口に捲し上げるや否や部屋を飛び出すセシルをきょとんと見遣って、しばらく悩んだが仕方なく立ち上がった。
 あのしっかりしたセシルがあんなに慌てふためいているのだ。少なくとも彼女の予想範囲を超えた突拍子もないことが起きたのだろう。自分以外にもそんなことをする勇気の持つどこぞの人間に、ロイドは内心感嘆した。

 音もなくスライドドアが開く。

 同時に感じる、辺りに纏う不穏な空気。さらに不可解なことに、ロイドが現れた途端周りの人間全員の視線がこれでもかという程突き刺さり、ロイドはぱちくりと目を瞬かせた。

「なに? なになに?」

 状況が全く掴めないロイドが訊ねるも、そこにいた人間もまた何が起こっているのか理解しかねているのか、胡乱げに眉を潜み首を傾げるのみ。

「……全く、用がないなら僕は戻るよ」

 そう言ってロイドが先程くぐったばかりのドアへと身体を向けようとした、


 刹那。


「ロイド!!」
「―――……」


 失ったはずの声が、聞こえた。





 鼓膜を震わす、非道く幼い声。

 ロイドが反射的に声の聞こえた方向を向く前に、自分の腰へと強い衝撃を受けた。

「ちょ…っ!」

 不意打ちにより咄嗟に支えられずロイドは後ろへと倒れ込む。
 その際床に思い切り頭をぶつけた。……正直、かなり痛い。

「なにさ、もう……」

 片方の手でズキズキと痛む頭部を摩りながら、もう片方の肘を使い上半身だけでも起き上がる。下半身は何かが乗っているのか重みを感じ、動かすことは適わない。
すると目の前に見えた光景に、強打によって吹っ飛んだ記憶が一瞬で甦った。


 さらさらと触り心地の良さそうな漆黒の髪。
 その髪からぴょこんと飛び出す二つの耳。
 顔はロイドの身体へと埋められているため拝むことは出来ないが、極めつけにゆらゆらと揺れる尻尾。こんな特徴的な外見を持つ子供など、ロイドは一人しか知らない。

 だが、

(だってあの子は……僕に比べてずっとずっと遠い存在で……もう、会えないはず、なのに)

 どうして、

「ルル…ちゃん……?」

 信じられないと瞠目させたロイドが呆けた声で呟けば、彼は――ルルーシュは、ゆっくりと顔を上げる。

 大きな瞳。美しいアメジスト。
 これ以上に綺麗な紫を、ロイドは見たことがない。

「ロイド」
「……」

 ルルーシュが静かにロイドの名を呼ぶ。しかし未だ事態を処理しきれないロイドの脳はパニックを起こしていて、ルルーシュの声など頭に入らなかった。

 それから何度かルルーシュが呼び掛けてもロイドは反応することはなくて、いい加減ルルーシュはむむ、と眉をひそめる。

「ロイド」

 やや怒ったかのような口調で名を呼ぶと、目をしっかりと合わせたままロイドの顔へと手を伸ばす。

 そして――。




 むぎゅ




「いひゃひゃひゃひゃ」

 親指と人差し指で思い切りロイドの両頬をつねった。というより、引っ張った。

「……」

 ロイドから非常に情けない声が発せられたが、ルルーシュが意に介した様子はない。
 それどころか、まるでどこまで伸びるか試しているかの如く遠慮もなしにぎりぎりと力を入れてきたのだ。

 はたから見ても分かる。あれは痛い。

「…る、るるーひゅれんは、いひゃい、いひゃいれふぅ」
「…………ばか」

 ルルーシュは小さくそう呟くと、憤怒の表情から一変、くしゃりと顔を歪ませた。
 ロイドの頬を引っ張る手から一気に力が抜け、だらんと腕が力なく垂れ下がる。同時にしゅんと顔を俯かせた。
 前髪に遮られ、ロイドはルルーシュの表情を窺うことは出来ない。

「おれ、忘れようとしたんだ…」

 ぽつりと、ルルーシュは呟く。

「ロイドとおれは、生きる世界が違うから。道が、全然違うから。だから、忘れようとした。……っなのに…!」
「……」

 語るたび、ルルーシュはぐっと拳を握りしめる。きつく結ばれたそれは、血が通っていないのか白く変色していて、その手を、ルルーシュは己の胸に当てた。

「駄目……だった。何時だって、何をしていたって……ロイドのこと思い出して、今はどうしてるんだろうとか考えて…!」


 朝起きても誰もいない部屋は、すごく寂しかった。

 自分で何も出来ない生活は、非道く窮屈だった。

 全て誰かにやらせるのが当たり前である此処で、無論「ありがとう」などといった言葉の必要性などない日常は、もう世界と思えなかった。

 眠る時にそこはかとなく傍にあった姿、温もりがなくて、部屋はどんなに温かくて快適でも、反比例して心は凍えるほどに寒かった。


 前まで普通だったこの生活が、今はただ苦しかった。


「……ねぇ、ロイド」

 ルルーシュは探るように上目遣いでロイドに瞳を向けた。
 美妙に輝くアメジストに宿るのは、大切な人に拒絶される恐怖。
 それでも、問わずにはいられなかった。

「こんな…おもっちゃいけないことをおもうおれは、わるいこなの……?」
「―――……」

 言葉を失った。

 皮肉にも、この言葉が、初めてルルーシュが歳相応な感情を表したものではなかっただろうか。


 ――何故。


 ロイドは小さな子供へと手を伸ばす。


 何故、彼は、


(……なんで、)


 きっと彼は、今までずっと自分をころして、

 周囲に気を配って、

 ただ、迷惑を掛けないように、それだけを努めて、

 甘えることさえもしない。

 何故?

 君は―――


「莫迦だねぇ」

 前はルルーシュがロイドに言ってばかりいた言葉を、今度はロイドが呟く。
 伸ばした手はゆっくりとルルーシュの頬を撫でると、まるで壊れ物を扱うかのように優しく、小さな子供を自分の懐へと招き入れた。

「そんなわけ、ないじゃない」

 久しぶりの温もり。自分より高い体温を持つ子供を優しく、されどしっかりと抱きしめる。

「思って何が悪いの? 願って何が悪いの? いいんだよ。君は、とことん我儘になればいい」


 どれほど君が大人に振る舞ってみせたって、


「君はまだ、子供なんだから。みんなに甘える、小さな子供なんだ。重い枷で自分を無理矢理繋ぐ必要は、ないんじゃないの?」
「…………………そ、か…」

 長い長い沈黙のあと、ルルーシュは消え入りそうな声で呟く。顔をロイドの胸へとうずめると、へへ…、と笑った。

「……じゃ、いいや。ロイドにそう言ってもらえるなら、きっと、それが正解なんだ」

 見上げた彼の顔には、柔らかな笑顔。
 全て重荷が無くなったかのような、清々しい表情。

 果たして、彼は気付いているだろうか。

 その発言に、一体どれだけの意味を持つのか。

 その言葉に滲ませる、ロイドに対する絶対的な信頼を。

 きっと、分かっていないのだろう、この子は。


(でも、それでいい)


 そう、この小さな存在が傍にいるならば、それで十分。

「そうだ、ロイド」
「なぁに、ルルちゃん」
「ルルちゃん言うな!」

「「…………」」

 ぷっ。

 思わず二人して噴き出した。
 噴くだけにあきたらず、そのままくすくすと笑ってしまう。
 少し前までは散々言ってきたこの掛け合いが、今は非道く懐かしく、何より愛しいと思えた。

 ロイドも、―――ルルーシュも。

「で、なぁに?」

 一頻り笑ったロイドが再び問えば、そうだったとルルーシュも声を上げる。

「ロイドに次に会ったら、絶対言おうと思ってたんだ」

 ルルーシュは綺麗な微笑みを称えた。







「―――ただいま、ロイド」


 それは、ルルーシュが彼自身によって、自分の居場所を選んだ。

 その、答え。


「―――うん。おかえり、ルルちゃん」


 眩しい。
 ロイドのモノクロの世界で、だた一つ、ルルーシュという存在だけが鮮やかな色を湛えている。それこそ目が眩む程に。

(でも、)

 それも今だけだろう。これからきっと、ルルーシュを中心に世界が色を取り戻す。

 何故か断言出来てしまう未来を想像し、殊更ロイドは頬を綻ばせた。

















おおきなまぁるい虹ができるくらいに鮮やかな色を、君と、




これにて(一応)ロイ仔猫ルルプチ連載、完結です!
連載開始から一年弱。大変長い時間が掛かってしまいましたがなんとか此処までこれました。応援して下さった皆様、ありがとうございました!
こういった連載ものは完結したためしがないため、非常に嬉しいです!

終り方がちょっと微妙かもしれませんが……。
ですが、最後の「ただいま」「おかえり」はもう連載始める前から考えていましたので満足です。
ちなみに虹というのは本当は丸いそうです。私はどこかで見たことがありますが、綺麗でした。いつも見る虹とは違う新鮮さで、不思議な感覚。この二人がつくるなら、普通の虹よりもこちらがあってるな、と思いました。何となくですけれど。

あと……実は本当はこの最後のお話、シュナ兄様も出てくる予定だったんです。
ですがロイドとルルだけのお話を書き上げたら、途中で彼の入る隙がなくてなくなくカット…(汗)
セシルさんがあわあわしていたのはいきなりの「今からそちらに行く」というシュナ兄様からの通信とほぼ同時にその本人が来たからです。お話に入らなかったのでここで解説(うわー)

それから……このお話は一応アフターストーリーなるものがあったりするんですが……よ、読みたい方、いらっしゃいますか……?(逃げ腰)
いや、何たってもう優に半年は放置していた連載であるので…orz
正直な話、私の中でこのお話は最終回じゃないんですよね……。
では、ここまでお読みいただきありがとうございました!