「あー疲れたー」
「ご苦労様」
ロイドが無造作に放り投げた上着を、苦笑しながらルルーシュは拾った。
とりあえず手前のソファーに上着を置き、ルルーシュはくるりとロイドに向き直る。
「ねぇロイド」
「なぁに? ルルちゃん」
「……ちょっと、話したいことがあるんだけど」
「……?」
はてとロイドは首を傾げる。
いつもは間髪入れず「ルルちゃん言うな」と返すのに今日はそれがない。
何となく普通と違う空気を感じ取ったロイドは、何処か感じる漠然とした不安に気付かぬフリをしながらそろりとルルーシュに近付いた。
「ルルちゃん?」
「……えっと…」
何を話せばいいのだろう。どこから言い出せばいいのだろう。
名を呼んだはいいが切り出し方が分からない。
一向に話そうとしないルルーシュにますます嫌な予感に駆られ、ロイドは覗き込もうと身を屈めた。
「どうしたの? 何かあった?」
眼前のロイドはいつものように飄々とした雰囲気ではなく、不安げを帯びた表情。
ああ、こんな顔も出来るんだ。と、こんな状況でも思う自分が少し可笑しくなった。
でも、やっぱりロイドは、いつもの人をおちょくるような顔が一番似合うかな。
どこと無く調子を取り戻し、意を決してルルーシュは顔を上げた。
「ロイド、実は…本当は俺…!」
ピンポーン。
「え…?」
「ん?」
緊張感からは程遠い、思わず脱力してしまいそうな間延びした音が響いた。
「お客? 誰かなぁ」
元々ご近所付き合いというものをしないロイドの家にわざわざ来る物好きなどいない。ルルーシュに用だというのなら話は別だが。
うーん?と懐疑的なロイドとは裏腹に、ルルーシュは僅かに顔を強張らせる。
(……まさか)
「ま、行ってみるかぁ」
「あ、ちょっと待って…!」
玄関に足を向ける彼を慌てて引き止める。
何だとロイドが思う暇もなく、突如玄関からガチャガチャと何かを壊すような金属音が聞こえたかと思うと、いきなり武装した軍人が押しかけてきた。
「! なに…っ!?」
ロイドは咄嗟にルルーシュを引き寄せる。ルルーシュを庇いつつ前面を囲うように入ってくる彼らに目を細めた。
「なぁに? 人の家に土足で入ってきて。そうまでして緊急な仕事でもあるのかなぁ?」
「残念ながら、用があるのは君じゃないんだよ」
思わぬ方向からロイドの問いに答える声。
室内に足を踏み入れたその人物は、ロイドが予想もしなかった相手で、細めていた目を僅かに見開いた。
姿が見えずとも誰か分かったルルーシュは、やはりと唇を噛み締め、目の前にあるロイドの服の裾を握りしめる。
「シュナイゼル…殿下…」
ロイドが無意識に呟いた声には、まさかといった驚愕の色が見て取れる。
だがそんなロイドには構わず、ブリタニア帝国第二皇子、シュナイゼル・エル・ブリタニアは、彼に守られるように抱きしめられている少年へ目を向けた。
シュナイゼルの視線の先に気付き、はっとしたロイドは腕の中の存在を抱く腕に力を入れる。理由は分からないが、ロイドの第六感が警鐘を鳴らしていた。
しかし目の前の人物、シュナイゼルはそんなロイドの行動を気にした風もなく、少年へ話し掛けた。
「ルルーシュ、いつまで顔を背けているつもりだい?」
「……!」
肩を震わせ強くロイドの服の裾を握るルルーシュに、内心おや?と訝しみながらも腕を伸ばす。
「さぁ、おいで、ルルーシュ」
「……はい」
え?とロイドが思うや否や。
ルルーシュは驚き硬直するロイドの腕からするりと抜け出すと、ゆっくりとシュナイゼルの元へ歩き出した。
「いい子だ」
シュナイゼルは微笑みながらルルーシュを腕の中に収める。
ルルーシュも嫌がることなくそれを甘受していた。
「え…ちょっと…ルルちゃん……!?」
無論話についていけないのがロイドだ。
一切の抵抗なく、寧ろ自分から離れていったのが信じられず名を呟けば、周りにいた軍人が「無礼な!」と叫び銃をロイドに突き付けた。
「貴様! 皇族のお方に、何と言う口の聞き方か!」
「皇族……?」
「そうだ!」
次いで軍人から出た言葉は、ロイドの思考回路を停止させるには十分過ぎる事実だった。
「このお方は、神聖ブリタニア帝国第十一皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下だぞ!」
―――何処かで全てが崩れる音と、今まで持っていた疑問が氷釈する感覚がした。
「こ…うぞく……?」
呆けた声でロイドは呟いた。
信じられないと、目をいつもより見開きながら目の前に立つ二人の皇子を見る。
ルルーシュは先程のロイドの時よろしく、シュナイゼルの皇族服を掴み顔を埋めていた。
弟の姿に苦笑しつつも「ああ」とシュナイゼルは頷く。
銃をロイドに向ける軍人達に手でそれを制すと、渋々ながら彼らは銃を下げた。
「そうだよ。この子は異母兄弟とはいえ、まごうことなき私の弟だ、ロイド」
「そんな……だって、皇族の中でそんな子、僕見たことないですよ」
「それはそうだ。私が保護し、極力周りに見られぬようにしていたのだから」
なんせこの体質だからな、騒動があったら困るだろう?とシュナイゼルはルルーシュの頭を撫でながら、ピクピクと小刻みに動く耳に触れた。
「でも、じゃあ何で…彼は街で倒れてたりしたんですか?」
シュナイゼルは次期皇帝とも謳われる程の実力者。そんな彼が保護しているのだから、ルルーシュはそうそう自由に行動できるわけがない。
シュナイゼルの様子から見て彼もかなりルルーシュを可愛がっているようだし、あんな死にそうな状況にさせるとは思えないのだが。
ロイドの問いに、シュナイゼルはああ、と呆れたような感心したような顔をした。
「それがね、この子が勝手に逃げ出したんだ。ちょっと目を離しているうちに、屋敷のセキュリティデータをかきかえてね」
「は……?」
ロイドはあんぐりと口を開いた。セキュリティとは、そんな簡単に変えられていいものか。
だが常日頃のルルーシュを見ていれば、彼ならやってのけることが出来るかもしれないと思ってしまう自分もいた。
「全く、本当に余計な所で才能を発揮するよ、この子は」
呆れたような物言いだが、それに反し顔はとても嬉しそうだ。使い方はどうであれ、才能が見事開花していることがどうやら嬉しいらしい。
「とりあえず、君には感謝しているよ。拾われていたのが君でよかった。ありがとう。―――さぁ、帰るよ、ルルーシュ」
「え、ちょっと……!?」
ロイドが呼び止めるが、二人は踵を返し玄関へと歩き出す。
慌てて追いかけようとすれば、周りにいた軍人達に押さえられてしまった。
「ちょっと、何するの…!」
「シュナイゼル殿下からの命令です。退きなさい、ロイド・アスプルンド」
冷淡な声色で軍人の一人は告げる。
しかしそんなことで納得できるロイドではなく、軍人達を掻き分けてでも進もうとするが、やはりただの研究者が幾多の戦闘を乗り越えてきた軍人に力で敵うはずもなく、ルルーシュ達との距離はどんどん離れていく。
「この…放せ! ルルちゃん……! ……っ…ルルーシュ!」
「!!」
ロイドの最後の叫びはドアから出ていこうとしたルルーシュにもはっきりと聞こえていて。
はっと目を見開くと俯いていた顔を勢いよく上げ、首だけでロイドへと振り返った。
「ロイド……!」
泣かないようにと必死でロイドの顔を見ないようにしていたのに、何故こんな時に限って名前で呼んでくれるのだろうか。
ロイドを見て泣きそうに顔を歪めるルルーシュ。その表情を視界に収め、ロイドが声を発しようと口を開きかけた途端、まるでこれ以上の会話を断ち切るかのように、非情にもドアがバタンと閉められ、ルルーシュは見えなくなった。
ロイドとルルーシュの世界が、仕切られた瞬間だった。
† † †
「………」
リビングで一人、ロイドは座り込んでいた。へたり込む、といった方が正しいかもしれない。
ルルーシュ達が出ていくとすぐに軍人達はロイドを解放し、今この家にいるのはロイドのみだ。
「この家…こんなに……」
広かったっけ?
淋しかったっけ?
静かだったっけ?
疑問に思えばきりがない。今まで鮮やかに見えていた風景が、今は自棄に陳腐なものに感じてしまう。
世界が再びモノクロに変わりつつあるのを、ロイドは止める術がなかった。
何故、気付かなかったのだろう。
彼は必死に訴えていたのに。