小鳥の囀りが聞こえる。
 木々はさわさわと揺れ、それらの隙間から何羽かの鳥達が飛び出し、空へと羽ばたいていく。
 しばらく上昇していた鳥達は、今度は己を地上から水平の向きに変え、総督府の周りを囲む壁を易々と越えて遠くへと飛んでいった。


(……俺も、あんな風に飛んでいけたらいいのに)


 バルコニーの手摺りに両腕を乗せ、更にその上に顔を乗せたルルーシュは、目を閉じ一つため息をついた。

 天からはさんさんと日光が降り注ぐ。いつもならこんな日に外へ出ようとは思わないのだが、今室内にいると余計なことを考えてしまいそうだった。外に出て風や光を感じ、思考を自然へと向けなければ、叶わぬ幻想に思いを馳せてしまいそうで、そんな自分が嫌だった。


 先日の出来事が未だ己を蝕んでいるのは分かっている。シュナイゼルもまたそれを察しているからこそ、ルルーシュの好きにさせているのだろうと思った。
 ここ最近は最低限の使用人が来るばかりで、家庭教師はおろかシュナイゼルさえもこない。きっと、彼なりの配慮だろう。それが、ルルーシュにはいい意味で擽ったいと同時に、罪悪感が沸き上がる。


 シュナイゼルはこんなにも自分を想っていてくれてるのに、どうして自分勝手なことをしてしまったのだろう、と。


 ロイドとあんな別れをしたのもあるけれど、己の身勝手さのせいでシュナイゼルに迷惑を掛けたことも、ルルーシュが落ち込んでいる原因の一つだった。

 はぁ、とまた一つため息をつく。

「どうした? そんなにため息をついて」
「!!」

 すっかり誰もいないと思い込んでいた矢先に聞こえたのは、ここ最近聞くことのなかった兄の声。
 慌てて振り返れば、苦笑して佇んでいるシュナイゼルの姿があった。

「兄上…いつから……」
「さっきからいたよ。お前は考え事をしていて気付かなかったみたいだがな」

 ゆっくりと話しながらシュナイゼルはルルーシュへと近付く。
 ルルーシュは居心地悪そうに目を逸らした。しばらく視線は床をせわしなくさ迷い、結局は外の自然へと落ち着く。
 シュナイゼルもまたルルーシュの隣で、外の景色に目を向けた。

「………」
「………」

 お互い、何も言わずに時間だけが過ぎていく。
 流石に何か言わねばと思考を巡らせていると、ぽつりとシュナイゼルが呟くような声を発した。

「本当はね……」
「?」

 ルルーシュは訝し気にシュナイゼルを見上げた。
 ルルーシュの視線を感じながらも、シュナイゼルは続ける。

「本当は、お前の所在は、ずっと前から分かっていたんだ。それこそジェレミアが見つける前からね」
「は……!?」

 どういうことだ、と思わぬ告白にルルーシュは目を剥いた。
 てっきりジェレミアが隠しきれずに見つかってしまったと思っていたから、驚きも一入だ。
 しかし、そうだとすると、新たな疑問が浮上する。

「では、何故連れ戻しに来なかったんですか?」

 普通探していた相手が見つかったとあれば、すぐにでも保護しに来るであろう。シュナイゼルに気に入られているという自覚がある(しかし理由は分かっていない)ルルーシュは、自惚れでもなんでもなく、純粋に疑問に思った。

「……そうだね、本当はすぐに連れ戻そうと思ってたんだが…」

 シュナイゼルは曖昧に頷くと、最後まで言わずポケットに手を突っ込んだ。

「?」

 意図が分からず小首を傾げるルルーシュ。
 そんなルルーシュにお構いなくシュナイゼルは自分のポケットを漁り、「あったあった」と呟くとポケットから何かを取り出した。

「これを見たらね、果たして自分のしようとする行動は正しいのか否か、分からなくなったんだよ」
「……これ…!」

 シュナイゼルがルルーシュに手渡したのは、何枚かの写真。
 嬉しそうに、楽しそうに街を歩くルルーシュの姿。ルルーシュの―――笑顔。

「部下に租界を徹底的に捜索させてね、すぐに見つかった。だが、その時既にお前はロイドに拾われた後だった。私は部下が撮ってきたその写真を見て、愕然としたよ」


 お前、今までそんな幸せそうな顔で、笑ったことなかっただろう。


 苦笑まじりに言われて、躊躇いがちにルルーシュは小さく頷いた。





 ルルーシュの奇異な体質は、先天的なものだった。


 理由は分からない。ともかく明らかに常人とは違う形に生まれたルルーシュは、母、マリアンヌが出産後すぐに亡くなったことで、まさに天涯孤独となってしまった。
 父であるブリタニア皇帝が何かしてくれるはずもなく、後ろ盾も殆どなかったヴィ家。
 まだ生まれて間もない、1歳にも満たなかったルルーシュは、全てを失い、たった一人世に放り出されたのだ。


 そして、そんな彼を一番に保護したのは、意外にもシュナイゼルだった。

 実は彼自身にも理由はよく分からない。
 だが、その赤子の瞳を一目見た時、まるで吸い込まれてしまうかのような錯覚に陥った。深い深い紫水晶の瞳に、己は魅入られていたのだ。

 赤子には不思議な力を感じた。揺るぎない心があった。強い意志を見た。

 そう、だからこそ、シュナイゼルは赤子を匿い、傍におこうと決めたのだった。





 その赤子、ルルーシュは、シュナイゼルの庇護の下、順調に成長していった。
 必要な知識を教わり自分のものとする。聡明な彼は、驚く程の速さで勉学を習得していった。
 その成果をシュナイゼルに見せる度に褒められ、ルルーシュは幸せだった。

 だが、幸せな時間はそう長くは続かない。
 時が経つにつれルルーシュは、自分が他者と違うのだということを意識し始めた。

 兄や使用人にはない尻尾、猫耳。それが自分にだけある。シュナイゼルに訊いても曖昧に返されるだけだし、最後は「気にする必要はないよ」でいつも締め括られた。

 幼い頃は気にしていなかった。
 大きくなって成長しても、シュナイゼルが大丈夫だというのだから大丈夫だ、と思うようにしていた。

 しかしある日、聞いてしまったのだ。

 女中が、ルルーシュのことを話しているのを。


『ねぇ、あの方、どう思う?』
『あの方って……ルルーシュ様のこと?』
『ええ、そう』
『可愛らしいとは思うけど……ちょっと…変よねぇ』
『そうよね。どうしてあんな子が生まれたのか、不思議でならないわ』
『シュナイゼル殿下が浸隠しなさるのも分かるわ。私達はともかく、市民が知ったらからかいの的になるものね。他の皇族の方もなんて言われるか分からないし……』



 頭の中が真っ暗になった。

 ああ、やはり自分は世間には受け入れてもらえない存在なのか。奇抜な存在なのか。周りからはそのような目で見られているのか。





 その日を境に、ルルーシュが素直に笑うことはなくなった。

 どれだけ使用人に優しくされても、「こいつも腹の中では侮蔑の感情を持っているのだろうか」と疑ってしまい、好意を真っすぐに受け止められなくなった。何をされても、違和感を感じるようになってしまったのだ。

 シュナイゼルもルルーシュの変化に気付き、何かと手を尽くした。それでもルルーシュの心を開かせることが出来なくて、影ではかなり悩んでいたらしい。

 そのことに罪悪感は湧いた。ルルーシュとてシュナイゼルは嫌いではなかったのだから。でも、無理に笑えば笑うほど、彼を余計に傷付けるだろうと分かっていたから、自分ではどうすることも出来なかった。


 そして、その頃からだった。

 外の世界に、出てみたいと思ったのは。





 外の世界は、ルルーシュには畏怖する対象だった。
 己を拒絶する存在ほど怖いものはないだろう。

 しかし、それと同時に外の世界は、ルルーシュにとっては憧れだった。



 世間からは隔離された屋敷で育ったルルーシュは、外の世界を知らない。接する人間は使用人だけで、優しい人ばかりだ。でも、世の中はそんな人間ばかりではないことをルルーシュは知っていたから、自分の知らないものを知りたいという欲求は、時が経つにつれ大きくなっていった。


 その感情は、ただの子供故の、純粋な興味。


 ルルーシュは、常に世界を恐れながら、同時に憧れる心を持っていた。





    †  †  †





「―――だから、逃げ出したのかい?」
「……はい」

 ルルーシュは庭に目を向けた。

「世界は俺が思っているような場所なのか、確認したかったんです。でもそれは、兄上に護られていては分からないものだと思ったから…」
「……それで、世界を見て、お前は何を思った?」

 静かにシュナイゼルが問えば、ルルーシュは自然に微笑を浮かべた。

「みんな、いい人達でした。もちろん、時々嫌な事もあったけれど、俺が思っていたよりずっといい場所でした。とても――温かいと、感じました」

 周りの人達はとても優しかった。

 自分の奇異な姿を、誰も否定しなかった。

 世界は優しくないけれど、人の心はこんなにも優しく、温かい。



 そう、温かかった、彼の心も。

 無条件に受け入れ、見返りを求めず傍にいてくれた、彼。

 シュナイゼルの優しさとは違う、使用人の気遣いとは違うものを、ルルーシュは感じて、また彼も感じたのだろう。


 今なら、分かる。
 此処にきてやっと、ルルーシュは知った。

 彼は、自分の、何よりの、かけがえのない『光』だった。

 彼が―――ロイドが。

「……ロイド」

 気付けば無意識に名を紡いでいて、はっとすると慌てて首を横に振った。折角忘れようとしていた人を、なにも今思い出す必要はないのに。

 だが、例えか細い声であっても、隣にいたシュナイゼルにはしっかりと聞こえていて。

「ルルーシュ」

 シュナイゼルは身を屈め目線を同じにすると、ルルーシュの頬を撫でた。

「…すまなかった」
「え?」

 突然の謝罪に思わず目を剥く。
 シュナイゼルは構わず話を続けた。

「私は、すっかり盲目していた。お前があまりにもしっかりしていて、大人びていて、聡明で……お前が『子供』だということを、忘れていた。だから私は、お前を救うことが出来なかったんだな。お前が真に望んでいたものを、私は知ることが出来なかった」
「望んでいたもの……?」

 ああ、とシュナイゼルは頷いた。

「お前が何より望んでいたもの、それは『愛』だよ。誰かからの無条件の愛。そして、お前自身から誰かへの無償の愛。その二つが、お前の望みだった」


 そう、ただ、愛が欲しかった。

 本当は母親から授かるはずだった、大きくも強い愛。
 本当は母親に授けるはずだった、幼くも真っすぐな愛。

 それが欲しかった。どちらか一つではない。自分は、その両方が欲しかった。

 ただ、今までルルーシュは、誰も純粋に愛せなかった。後者の愛が欠落していて、何処までも心は孤独だった。

 そして、そんな彼にやっと生まれた、愛情の相互。その相手こそ、

「ロイドだったんだね」

 表情には出さねど、シュナイゼルは意外だった。


 人を信用しきれないルルーシュと、人に興味のないロイド。

 決して相入れないであろう二人が、お互いを必要としていたのだから。

 ルルーシュを連れ帰る時のロイドを思い出す。
 彼のあんな冷静さを欠いた様子は、長年面識のあるシュナイゼルもそうそう見たことはない。しかもそれがKMFにではなく、一人の人間の為などと、かつて一度もなかったのではなかろうか。

「私は、お前を愛しているよ。大事な家族として、誰より」

 例えルルーシュが全く同じ感情を返してくれなくてもいい。ただ、

「ただ、私はお前に幸せになってほしいだけなんだ。だから問おう、ルルーシュ。ただの子供であるお前に」
「兄上……?」

 いつになく真剣な兄の様子に明らかな困惑の色を滲ませるルルーシュ。
 シュナイゼルは真剣な顔から、ふ、と頬を緩めた。

「ルルーシュ、お前が欲しいものは何だい? お前が望む世界は何だい? お前が魅入る、願いは何だい?」

 言っていいんだ。お前には、それを言う権利があるのだから。

「もう、モノクロの世界は終わりだよ、ルルーシュ。お前は、空へ羽ばたけるのだから」
「……あに…」

 みなまで言う前に、ルルーシュの頬に雫が伝う。
 拭っても拭っても止まることのないそれは、だがしかし決して悲しみの涙ではなくて、歓喜の涙。

 今初めて、自分がいてよかったのだと、胸を張って言える気がした。

「おいで、ルルーシュ」

 年相応に泣きじゃくる弟を、シュナイゼルはゆっくりと抱き寄せた。
 包まれた体温が心地よくて、余計に涙が溢れてくる。

「あに…うえ…っ!」

 みっともないけれど。
 兄の服が濡れてしまうけれど。

 それでも縋りたがる感情を抑えることは出来なくて、服の裾を掴み、声を上げて泣いた。





「……あ、兄上。もう…大丈夫、です」

 ゆっくりと兄から身体を放す。
 目線を上げないのは、思いきり泣いた気恥ずかしさからか。
 素直になってもプライドの高さは変わらないな、とシュナイゼルは苦笑した。

「さて、じゃあ答えてもらおうか、ルルーシュ」

お前の、今一番の望みはなんだい?

「………」

 願い。
 自分が今、最も願うことは、ただ一つ。

 下を向いていたルルーシュは、意を決して顔を上げた。

「兄上」

 向けられる瞳は、一点のくもりもないアメジスト。
 この意志のある瞳でもって戦場を駆けたのであろう女性の姿が目に浮かぶ。
 ああ、やはりあの方の子だな、とシュナイゼルは思った。

「俺の、願いは……」

 ルルーシュの目に、迷いはなかった。





その瞳の先に映るのは、彼の人が持つ、アイスブルー。




真っ白シュナ兄でお送りしました!ロイド出番なしっ!(爆)
『あの方の子』……まさかあの縦ロールを想像してはいけません。
しかし……どうも今回の話、書いてて非常に恥ずかしかった。どうもこういう話は苦手みたいです雪野さん…。
これはシュナルルと言っていいのでしょうか。あくまで家族愛なのですが。その変わりただの家族愛と一線画した家族愛(笑)
因みにシュナ兄が無理矢理ルルを連れ帰ったのは、ロイドを試すつもりだったりルルーシュを見極めるつもりだったり。

ルルちゃんはですね、受け身だけの愛じゃ駄目なんです。そもそも本編でも愛すことがルルの性分ですから。ルルにとって必要なのは、愛すことと愛されること。二つで一つ。それをロイドが成し遂げたんですから、それを知った時シュナ兄は内心面白くなかったんじゃないでしょうか(笑)

さて、次でいよいよラスト!長かったですねぇ。これは1話目を書いていた時からもう決まっていたので、やっと書けるとわくわくです。