ぼとりと、思わず手に持っていたオレンジを落としてしまったのも致し方ないといえよう。

「――ルルーシュ様……っ!」

 死んだと思っていた主君が、自分の目の前に突如として現れたのだから。





「久しいな、ジェレミア」

 目深に被っていた帽子と眼鏡を取った青年は、まさしくジェレミアが忠義を誓い、それを彼の最期まで貫いたと思っていた人物で。
 停止していた思考がようやく動き出し、その青年がルルーシュだと頭が判断した瞬間、ジェレミアは何故彼が生きているのだとかいう疑問よりも先に膝を折りこうべを垂れていた。

「ルルーシュ様、このような格好で申し訳ありません!」
「いや、いい。俺も連絡もなしに来たわけだしな。面を上げろ」

 ルルーシュの許可を得て、ゆっくりとジェレミアは主の爪先から上へと視線を向ける。
 その先にある優しさを湛えたアメジストは間違いなく忠誠を誓ったルルーシュで、ジェレミアは歓喜に身体を震わせた。


 ゼロレクイエム。皇帝となったルルーシュが世界の悪意全てを背負ってゼロに殺されるというシナリオ。普通なら止めるであろうその全貌を聞いても自分がルルーシュを止めなかったのは、ひとえにそれが主君が決めたことであり、受け入れるのが己の忠義だと判断したからだ。主が決めたのならば自分は彼の方の為に全力で身を尽くす。例えそれが、主を失うこととなろうとも。それが主君に仕える臣下としての姿だと、ジェレミアは認識していた。だからこそ、ジェレミアはルルーシュの死を受け止めることが出来たのだ。

 しかしだからといって、ルルーシュが死んでも良かったのかと言われれば勿論否で。
 どんなに素晴らしい頭脳を持っていたとしても、彼はまだ十代の子供であり、主君である以上大切な人間であることに変わりはないのだ。
 そしてその主君が生きていた。即ちゼロレクイエムが成功しなかったことを意味するが、にもかかわらず心の何処かでほっとしているのは、忠義を誓った臣下としてはあってはならぬことなのだろう。――それでも、

「臣下として最低だと罵って下さっても構いません。それでも私は、貴方が生きていて下さって良かったと、心より思っております」
「生きて……か……」

ジェレミアの言葉に自嘲の笑みを浮かべたルルーシュ。その様子に内心疑問に思うが、ジェレミアが問うよりも先にルルーシュが口を開いた。

「俺も、こうしてお前に会えて嬉しいよ。実はこれからC.C.と旅にでも出ようと思っていてな。しばらく此処には来れないだろうから、お前の作るオレンジを食べてみたいと思ったんだ」
「そんな……もったいないお言葉です……!」

 自分の言葉一つで感動で顔を輝かせるジェレミアに、ルルーシュは苦笑してしまう。もう自分は主君でも何でもないと思っているのに、どうやらジェレミアは違うらしい。

「ジェレミア、もうその言い方は止してくれないか。俺は皇族でも皇帝でもなんでもない、正式に死んだ身だ」
「いえ、私が忠義を誓ったのは皇族でも皇帝でもなく、“ルルーシュ様”という個人なのです。貴方がどんな身分になろうが、この忠義は変わりません」

 即答。ジェレミアはどうあってもこの態度を変えるつもりはないらしい。お堅いというか彼らしいというか。そんなジェレミアだからこそ、ゼロレクイエムの一端を任せることが出来たのだが。
 思わずくすりと笑っていると、不意に視界の端にちらりと桃色の影が映った。
 もしやと思いそちらに視線を向けると、オレンジの木から顔を覗かせた少女がこちらを見ている。無表情であることが多かった少女だが、今は大きく目を見開き、ルルーシュを驚愕の色を乗せたルビー色の瞳で見つめていた。

「アーニャ?」

 ルルーシュの声にやっと我に返ったのか、はっと硬直していた身体を動かしたかと思えばすぐに木の影に隠れてしまう小柄な少女。
 はて、と首を傾げるルルーシュの横で、腰を上げたジェレミアは苦笑して少女を促した。

「アーニャ、そんな所に隠れていないで出てきなさい」

 その言葉に観念したのか、渋々と姿を見せた少女を手招きしてジェレミアはルルーシュに向き直る。

「ルルーシュ様はご存知のようですが一応。元ナイトオブラウンズのアーニャです。今はこの果樹園の従業員として働いてもらっています」
「驚いたな。まさかお前達が共にいるとは」
「アーニャは皇帝に記憶を改竄されていました。それをキャンセラーで解いたら、彼女はもう戦いたくはないといった。だから連れてきたまでです。よく働いてくれていますよ」
「そうか」
「アーニャ、ルルーシュ様に挨拶くらいしなさい」

 そっとアーニャの背を押すジェレミアはまさに父親のようで、様になっているその姿にルルーシュは苦笑する。
 一方押されたアーニャはといえば、最初は躊躇したようだが、意を決したようにてててとルルーシュの前まで来るとじっとその顔を見つめた。現実を信じられないのか、食い入るように真っ直ぐ見遣って、恐々と口を開く。

「……本当に……ルルーシュ……?」
「ああ、そうだよアーニャ」

 年齢がナナリーに近いからだろうか。久しぶりだな、と微笑んで無意識の内にルルーシュの手が桃色の髪を優しく撫でる。
 触れた瞬間びくりと身体を震わせたアーニャだったが、労わるような手先の動きに安心したのか次第に強張る身体を弛緩させ、気持ち良さそうに目を細めた。
 そんな姿にルルーシュも嬉しくなる。不死になっても妹属性に弱いところは全く変わっていないのだと、我ながら笑ってしまった。

「――おいルルーシュ、何時までこんな所で油を売っている」
「C.C.。……ああ、そうだったな」

 しばらくそうしていると、不意に後ろから呆れたようなC.C.の声が聞こえた。
 確か「暇になりそうだから」とジェレミアに会う前に散策すると別れたはずだ。となると、どうやら自分は此処で随分と長話をしてしまったらしい。

「もう行ってしまわれるのですか?」
「まぁな。俺達にはすべきことがあるから」
「……分かりました。このジェレミア、主君を止めるようなことは致しません」
「感謝する」
「いえ。そういえばオレンジでしたね。いくつ持っていきますか? ルルーシュ様でしたら何個でも……」
「いや、多すぎても困るからな。二つでいい」
「分かりました。アーニャ、持ってきてくれるか?」

 ジェレミアが問えば、こくりと頷いたアーニャが遠くのトラックまで走り、今日採ったのであろうオレンジ二つを持ってルルーシュの元へ戻ってくる。

「これ……今日採れた一番いいやつ」
「そんなものをもらっていいのか?」
「いいの……ルルーシュだから」

 ぐい、とルルーシュにオレンジを押し付けて、アーニャは慣れないながらも微笑を浮かべた。

「今のルルーシュ……私、好き。だから、いいの」
「……そうか」

 はにかみながらの言葉にルルーシュも微笑み、そっとオレンジを受け取る。
 ギアスによって人生を翻弄された少女。しかし今は幸せな生を歩んでいるのだと、そう思うとルルーシュの顔も自然と緩んだ。

「ありがとう。大切に頂くよ」
「ルルーシュ……また、来る……?」

 くい、と服を引っ張りながら問うアーニャの顔は不安げだ。

「あー……えっと……」

 困ったようにジェレミアへと顔を向けるけれど、彼もまた苦笑するのみで、どうやらフォローしてはくれないらしい。
 眼前には表情を曇らせるアーニャ。そんな少女を前に、一体どうやって言い訳をすることが出来ようか。

「……勿論だ。ちょっと世界を見て回ったら、必ず此処に来るから」

 結局そう言ってしまえば、後ろから「このシスコンめ」とC.C.が吐き捨てた気がする。が、この際無視だ。

「じゃあ信じる。あと、手紙も書いて」
「へ? いや、」
「周に一度。時間がなかったら一ヶ月に一度でもいいから、絶対に書いて」
「え、ちょ……」
「だめ……?」
「……分かったよ」

 何時まで経っても押しに弱いルルーシュが降参とでも言うように諸手を挙げると、アーニャは満足そうにこくりと頷いて小指を差し出した。

「約束。ジャパニーズスタイルの」
「……ああ、そうだな」

 目を細め、ルルーシュは自分よりも幾分か小さいアーニャの小指と己のそれを絡める。
 形式の歌を歌いながら腕を振れば、何時かナナリーと約束をした時の姿が重なって見えた。

「――約束、だ」













貴方と約束を交わして、もう何年経ったでしょうか。





ジェレミア編というかアーニャ編みたいになった……(汗)
でもこのお話の一番の目的は、アーニャに「今のルルーシュは好き」と言わせることだったりします(笑)

ちなみに最後の言葉は、数年後か経ったアーニャの言葉です。

さて、次はスザク編……!


2008.10.2