普段は賑やかな生徒会室。たいていは会長であるミレイがとんでもない企画を言い出したり、ルルーシュの作った菓子やこれまたルルーシュが淹れた紅茶などを摘みながら談笑をする場で、今は生徒会役員全員が膨大な書類相手にペンを片手で静閑な冷戦を繰り広げていた。

 全ては打倒、企画案締切日。

 時折紙が擦れ合う音や書類について相談する声が聞こえてくる以外、大方の時間は静寂が続く。
 遠くから運動部であろう掛け声が室内へ僅かに届くが、そんなことに構うことがない程彼らは集中していた。

 そして、言葉のない空間でありながらも居心地が悪いわけでもない静寂を破ったのは、ことりとペンを置く小さな音と、ぺらりと一枚の紙を中央にある紙の束に乗せる音。

「――終わった」

 ついでルルーシュがもらした小さな呟きが決定打か。
 同じく書類整理を終わった皆が、一斉に脱力した。
 ある者は突っ伏し、またある者は背もたれに身体を預け天を仰ぐ。

 しかしルルーシュは疲れた様子もなく淡々とペンをケースにしまい、会長であり毎度の如くこの現状の発端であるミレイはにっこりと笑いながら立ち上がった。
 各々の反応をしめす一同を見回し、口を開く。

「よぉしご苦労様諸君! 優秀な仲間を持ててミレイさんは望外の喜びでありますぞ!」
「こちらとしては物事に迅速な対処をして下さる上司が欲しいところですよ」

 間髪入れず返してくる副会長に、相変わらず手厳しいなあと苦笑するミレイだが、反省の色はまるでない。あったらあったでまさしく晴天の霹靂なのだから、生徒会役員としては微妙な心境なのだけれど。

「会長ー。俺疲れちゃってお腹空いたー」

 そんな中、はいはいとリヴァルが片手を上げた。
 ちなみに彼は持ち分の半分しかやっていない。もう半分はといえばもちろんルルーシュ行きである。だから、仕事の量ならば彼が一番少ない。

 しかし、こうして書類と格闘した後に一休みしようと提案するのはたいていがリヴァル。それに誰かがツッコミを入れないのは、ほとんどの者が彼と同じ思いだからだ。

「私も小腹空いた。ねえルルーシュ、今日何かある?」
「……冷蔵庫に昨日作った洋梨のタルト・タタンが」
「やった! 流石ルルちゃん! じゃあ持ってくるねえ」

 うきうきと足取り軽くキッチンへ向かうミレイに、慌てて手伝いますと後を追うシャーリー。

 この様子なら自分が行く必要もないだろうと判断したルルーシュは、浮きかけた腰を再び椅子へと沈めた。三人でキッチンに行っても邪魔なだけだし、ミレイの淹れる紅茶もまたルルーシュに負けず劣らず絶品だ。
 シャーリーが類い稀なる不器用なことが不安だが、ミレイと共ならなんとかなるだろう。

 そう思い、同時に初めてシャーリーと料理をした日を思い出してルルーシュはふっと遠い目をした。知らず思い出すのは過去の情景。

 すごかった。まさか常日頃行う調理という行為があんな壮絶な事態になろうとは、流石の自分も想定していなかった、とルルーシュはその惨状を思い返し、一つため息をつく。

「ん? どしたのルルーシュ?」

 丁度手持ち無沙汰であったリヴァルが些細なルルーシュの動きも見逃さず問い掛けてきて、ルルーシュは「いや……」と言葉を濁した。

 悲しかな、シャーリーが不器用なのは皆が知っている事実であるし、今自分が思い出していたことを話したことでなんの問題もない。
 しかしルルーシュ自身は口にするのが非常に面倒くさいため、全く違う、且つ相手が話を続けそうな話題で逃げることにした。

「いい加減こう仕事を溜める生徒会長と、一年以上の経験がありながら全く進歩のない某悪友が何とかならないものかと思ってな。それだからロロまで手伝わなきゃならない羽目になるんだ」
「うっわーなに俺アナタに名前も認知されてないわけ?」
「姉さん……僕は別に構わないから気にしないで?」
「ロロ……」

 何気に軽くショックを受けている右隣のリヴァルを見事にシカトし、ルルーシュは左隣のロロを見遣る。

 会話に無理に入ろうとせず黙って座っていた弟を、ルルーシュは悪いという後ろめたさと、なんて優しい子なんだと感動の色で見つめた。

「……ほんと、稀にみるブラコンだよねぇルルーシュ」
「可愛い弟を想って何が悪い!」

 いやーそんなはっきりきっぱりあっさり言われちゃっても……。

 とリヴァルは思わずでもなかったが、言えば確実に話がこじれるのですんでで飲み込んだ。
 かわりに出てきた言葉は、前々から彼が思っていたこと。

「でもルルーシュってさー、なんだかんだで俺達のこと労ってくれてるよな」
「何で?」
「だって、こうした書類整理の日には必ず何か作ってくれてあるじゃん」
「べ、別に……ただ偶然前日に作ってあるだけだ!」

 へえ〜偶然。リヴァルはルルーシュの言葉を反芻しながらにやりと口端を吊り上げる。

「じゃあなんでいっつも偶然書類整理の時に限って生徒会役員全員の分がぴったりあるんだろうねー。普通はそんなのないのに」

 ルルーシュはぞんざいな口調とは裏腹に、中身はとても優しい。表層だけでなく、心の深層まで。たぶんリヴァルは、此処まで心根が優しさという温かな光で出来ている人を知らない。

 しかし自分の優しさを「優しい」と褒められるのが心底苦手で、ついついこうやって否定的な言葉を紡ぐ。たぶんこれも、彼女の魅力の一つなのだろう。

 ただ、一つリヴァルが思う問題と言えば。

「う、うるさいこのバカ!」

 バカ、といいながら、ルルーシュは机の下にあるリヴァルの足を思いきり踏ん付けた。しかも踵でぐりぐり食い込ませるオプション付き。

 そう、何故かリヴァルにだけはこうして実力行使してくること。
 それだけ気が置けない仲なのならまだ納得がいくのだが、もしかしたらリヴァルはこんなことしても問題ないと思われているのかもしれない。
 そうなるとちょっと悲しい。出来れば前者であればいいのに。というか、寧ろ両者である気がする。

「は〜い。そんな野蛮な遊びしないの。リヴァルはともかく、ルルちゃんは眉間に皺寄せてるより笑顔の方が何倍も可愛いんだから」

 痛みに悶絶するリヴァル。そんなリヴァルに足は退かしながらも睨め付けるルルーシュと状況をオロオロと見守るロロに何となく理解を察して、でもだからこそたわいごとだろうとミレイはおちゃらけた口調で話し掛けた。

「……私は可愛くありません」
「まーまー、そんなこと言っちゃって。相変わらず罪な子!」
「あのー会長、俺は……」
「あ、リヴァル。キッチンに行ってお皿とフォーク持ってきて」
「は、はい!」

 あまりの扱いに言及しようとしたリヴァルだが、ミレイの言い付けにほぼ条件反射で答えた。
 その様子に、これはもうあいつも末期だな、とルルーシュは心中でひとりごちる。彼の姿はまさにミレイへ仕える忠犬そのものだ。

「姉さん……」
「あぁ、大丈夫だよ、ロロ」

 元々そんなに怒っていたわけじゃないし、と言いながら微笑めば、ロロはほっとしたような顔をした。
 そんな弟の頭を一撫ですると、ミレイが紅茶を淹れる様を見つめる。

(平和、だな。今日も、いつも通りか)

 無意識にそう感じて、ふと制服のポケットに手を入れる。
 中から携帯電話を取り出しサブディスプレイを見るが、相変わらず時刻が表示されているだけで、電話もメールも着信はない。

(あいつ……電話しろと言ったのに)

 機嫌よさ気ににこにこと笑っていた男を思い出す。
 長い痩躯に、武骨な手。瞳は青空をそのまま切り取ったかのようなスカイブルーで、髪は眩い金色。短髪のそれは、しかし下の部分は長く、三つ編みに結われていた。そして、ひどく変わった容姿をしていた彼。


 ジノ・ヴァインベルグ。


 見知らぬ輩に絡まれ、彼に助けられてから一週間が経った。けれど、彼からはなんの音沙汰もなく、だからといってルルーシュが彼に連絡する手立てもない。

 元々借りを返したいというのはルルーシュの勝手な言い分であって、相手に強要するものではないと頭では分かっているけれど、それでもただ与えられるだけの温情は、ルルーシュにとって窮屈だった。

 例え、その相手が赤の他人だろうと。否、相手が他人だからこそ。

 しかし先にいったように、それは決して彼に押し付けるものでもない。

(それとも……迷惑だったとか?)

 有り得る。

 自分はあまつさえ助けられた身でありながら、あのカフェでお代を彼に払わせ、しかも最後は一方的に且つ命令口調で捲くし立て、相手の返事も聞かず立ち去ったのだ。
 あの時は急いでいてそれどころじゃなかったけれど、今考えればなんと失礼なことをしたのか。下手をすれば嫌われたのかもしれない。

(嫌われた……?)

 何故だろう。嫌われたと思ったら、どこからかいやだと感じる自分がいた。
 借りを返せないから? いや、それでは遺憾ではあっても、いやだと思う理由にはならない。

 では、どうして――。



「ルルちゃーん?」
「!!」

 間近から聞こえた声に、びくりと肩を揺らした。
 はっと我に返り見上げると、いつの間にか自分の横へと来ていたらしいミレイが、机へと上半身を乗り上げることで自分を真正面から凝視していた。

「何ぼーっとしてるの? さっきからずっと携帯見つめてたけど」
「あ、いや、別に……」
「ふーん……」

 ミレイはとりあえずルルーシュの前から上半身を退かすが、ふと未だルルーシュが持つ携帯が目に入る。
 そういえば、と思い出すように口元に手を当てながらミレイは口を開いた。

「最近ルルちゃんさ、ぼけっとしてることが多くなぁい? そうやって携帯持ちながら」
「そ、うですか?」
「うん、そう」

 ルルーシュは戸惑いがちに問うが、すぐにミレイが返してきて言葉に窮する。

 ……確かに、そうだったかもしれない。

 そうだ、考えてみればミレイの言う通りである。

 ミレイは奔放に生きながら、だからといって莫迦ではなく、寧ろ頭がキレるが故にそんな生き方をしているのだろうとルルーシュは思っている。
 そんな聡いミレイが、ルルーシュの変化に気付かないはずがないのだ。それが本人が気付かない僅かなことであっても(というより、ルルーシュは自身に対して頓着がないのだが)。

 なおかつミレイは、それが面白いことならばどうあっても食いついてくる。そういう人だ。


 そして彼女は、いままさにそんな雰囲気を醸し出していた。


 おもちゃを見つけた子供のような。しかし子供のように純粋なものではなく、どこか含みを持たせた狡猾な笑み。

「ルルちゃーん、それって、」

 やばい、と思った時にはすでに遅く。
 ミレイはとんでもない爆弾を投下した。


「恋煩い、ってやつ?」


「……………」


 コイ?
 こいって……恋?


「はぁ!?」


 ルルーシュは素っ頓狂な声を上げた。
 隣で傍観していたロロはすっと目を細めたが、自分のことで精一杯なルルーシュと、そんなルルーシュの反応を面白がっているミレイは気付かない。

 そして、丁度キッチンからシャーリーとリヴァルが出てきたために、事態はさらにややこしくなった。

「え、え、何!? ルルが恋!?」
「ホントっスか会長!」
「うむ! ミレイ会長の目に狂いはない!」
「勝手に決めないで下さいっ!!」

 大体どうして携帯片手に物思いに耽っていたから恋なんだ、というのはルルーシュの言い分。

 しかし何日もそんなことをしていてなんで恋じゃないんだ、というのがミレイの言い分である。

「うーん、確かに……」
「そう言われてみればなあ……」
「二人とも納得しない!」

 ルルーシュからしてみれば、ミレイの言葉に素直に納得するシャーリーとリヴァルが理解出来ない。
 唯一の味方であろうロロを見ても、彼はどうしていいか分からないようだった。
 尤も、ルルーシュとて分かっていたし、彼を巻き込む気はなかったけれど。

「で? で? どんな人なの? かっこいいの?」
「会長ー。ルルが好きになったんだから、かっこいいに決まってるじゃないですかー」
「しかし高嶺の花と謳われるルルーシュが遂に恋かあ……。こりゃファンが泣き叫ぶな。下手すりゃ狂う」
「だーかーらぁ……そんなんじゃない! 私は無実だ!!」

 あれ、なんだか最後の叫び方向性が間違ってませんか、と誰かが突っ込む前に。

 ルルーシュの手に持つ携帯がピピピ、と味気ない音を発した。

「!」

 すぐさま発信者を確認すれば名前は表示されず、あるのは見覚えのない番号の羅列のみ。

 興味津々に見てくる仲間を無視して慌てて生徒会室からテラスへと駆け込んだルルーシュは、軽く深呼吸すると発信ボタンを押した。

「もしもし、」
『おわっ! ル、ルルーシュ!?』
「………なんでそっちが驚いているんだ、ジノ・ヴァインベルグ」
『あーいや、なんでもない。ってかジノでいいって』

 最初の不可解な反応の理由はよく分からないが、相手がルルーシュであると確認出来たからか、ジノでいいと話す彼は開口一番に比べると随分落ち着いた口調になっていた。

『悪い、ちょっと……連絡が遅れちゃって』

 あははと笑うジノに、ルルーシュはむっとした。
 よく分からないけれど、軽い口調でそう言うジノに、ルルーシュは何故だか物凄く腹が立ったのだ。

「本当だ、バカ」
『ルルーシュ?』
「嫌われたかと思ったのに……」
『は? なんて言ったの?』
「いい! なんでもないっ! それより用件は!?」

 ぼそりと呟いた言葉がジノには聞こえなかったらしい。
 故に聞き返してきたのだが、これ以上は突っ込んでほしくなくて、慌ててルルーシュは本題を突き出した。思わずぽろりと出てきた本音の理由を自分自身が分かっていないのだから、それも致し方ないだろう。

『あぁ……うん、そうだよな! うん……』

 しかしジノは折角ルルーシュが用件について切り出したというのになんとも歯切れが悪い。
 あーだのうーだの悩む電話口の男の様子に、はっきりしない事が嫌いなルルーシュは徐々に眉間の皺を深くする。

「おい、まさか考えてないのに電話してきたのか」

 ルルーシュの目の前では丁寧に整えられた草木がさわさわと風に揺れ、同時に太陽に照らされて燦然と輝く様は平和という言葉をそのまま表す程にのどかだ。
 しかしそれに反してルルーシュからは沸々と苛立ちが沸き出ていて、ラウンズとしての直感かよからぬ雰囲気を感じ取ったジノは慌てて口を開いた。

『あ、あのさっ、つまりは俺がルルーシュになんでもお願いを叶えてもらえるってことだよな?』
「まぁ……そういう言い方も出来るな」

 じゃあさ、と前置きを入れてジノが提案した“お願い”は、ルルーシュが驚くのに十分な内容だった。

『俺とデートしてくれよ』
「………でーと?」

 そう、とジノは肯定するけれど、ルルーシュは困惑している様子なのが電話越しでもよく分かった。

「………………なんだそれ」

 長い沈黙ののち、漸く口を開いたら出てきたのがその一言で。
 ジノは思わず笑ってしまった。

『あれ、意外?』
「当たり前だろう。私は借りを返す、と言ったはずだが」
『うん、だからデートしてよ』
「………」

 どうしたら“借りを返す=デート”という図式になるのだろうか。
 予想していたもののどれとも違う内容に、ルルーシュとしては理解の範疇を超えてしまうのは分からないでもない。

 しかしまあデートくらいであちらが満足するなら、と思ってしまうルルーシュは、とことん恋愛に対しては鈍感であった。

「そちらがそれでいいのなら、私は構わない」
『マジ!? やった! 明日とかは?』

 明日……、とルルーシュは脳内で予定を思い浮かべる。
 明日は土曜日で休日であるし、生徒会もない。これといった用事も入ってはいないはずだ。

「別に問題はない。じゃあ明日だな」

 それから時間や待ち合わせの場所について話し合うと、また明日な、というジノの言葉を最後に電話を切った。

「……デートか」

 考えてみれば、恋愛に全く興味のなかった自分にとっては初めての経験だ。そう思うと、明日自分は一体何をすればいいのだろうか、と少し不安になってしまう。

(いや、いくらデートと言われても所詮は借り返しの為に出掛けるだけだ。そんな気兼ねする必要はないだろう)

 そう自分に言い聞かせ、よし、と一人気合いを入れたルルーシュであったが。

「ルールーちゃあん?」
「――っ!!」

 突如背後から聞こえた含みのある声に、ルルーシュは思わず息を呑んだ。

 確認せずとも分かる。この明らかに弾んだ声は、いつも自分が頭を抱える人間のもの。

「ぜぇんぶ聞いちゃったわよ? アナタのお話」
「か、かいちょう……」

 恐る恐る振り返った先には、にやにやと何やら企んでいるらしい表情をした腕を組んでいるミレイと、その両脇に気まずそうに目を泳がせるシャーリーとリヴァル。

(――しまった……!)

 なんたる不覚、とルルーシュはがっくり項垂れ。
 ただ一人ミレイだけは、ルルちゃんのデート服をコーディネートよー、と意気込んでいた。



 どうやら、少なくとも明日まで自分の心労は絶えないようだ。


















花にとける世界の破片



日常が、ほんの少しだけ変わった瞬間。




自分で自分の首を絞めました……!!

ミレイさんはコーディネートとか言ってますが、私ファッション云々は非常に弱いのです。あぁどうしましょう←
今回はルルの普段の生活をメインを書こうと決めていたのですが、実際書いたらかなり長かったですね。しかもジノがちょこっとしか出ていない……。
ジノがこの一週間何をしていたかについては次のお話でちゃんと書きますので!

しかしどうして私の書くルルはこうも鈍感なのでしょう。それはあの子がとことん愛されてればいいからだ。……と、自分で疑問に思っておきながらすぐに答えが出てきました……。

では、ここまでお読みいただきありがとうございました!!