「はあぁぁあぁ!?」
黒の騎士団のある場所で、一人の少女の声が響き渡った。
「な、なななな……!?」
なんだこれは。どういうことだ。
事の起こりはつい先程。カレンが幹部専用のラウンジへと訪れた時だった。
その時は幹部達を集めた会議が終了した直後で、いち早くその場所へと来たカレンの他には当然他の人物などいないはず。
そう思ってカレンは皆にお茶の準備でもしようかと勢い込んで足を踏み入れのだが、予想に反してその空間には既に先着がいた。一人はC.C.。これは分からないでもない。彼女がゼロの司令室以外の場所にいることなどほとんどないが、有り得ないというわけでもないからだ。彼女は黒の騎士団に来た当初からゼロの近くにいて幹部以上の扱いを受けている。そのことにやや不満はあれど、ゼロが決めたのだからとC.C.を、ましてはゼロを咎めようなどとは思わない(納得はいかないけれど)。ゆえに、彼女が此処にいるのは問題ないのだ。
しかし問題なのが、ソファに座るC.C.からテーブルを挟んだ向こう側で大人しくちょこんと座る人物の姿。
その人を見た瞬間、カレンはほぼ無意識のうちに叫んでいた。混乱する脳内に比例して言葉と呼べる言葉は出ず、必死に声を出そうとしてもその努力は空回り声にならない音を紡ぐばかり。ついには漏れていた音さえも失い、手に持っていた書類をばさりと落とした。カレンの心情を表すかのように、唇はわなわなと震えている。
「うるさいぞ。そんなに喚くな」
そんなカレンにソファで黄色のぬいぐるみを抱えて寛ぐC.C.が眉を顰めるが、カレンはその声はおろか、C.C.の姿さえ意識に入っていなかった。ただ目の前の光景を理解しようと頭を働かせるだけで精一杯だったのだ。
だがしかし、カレンの反応も決して理解しがたいものではないだろう。何故なら、有り得ない人物が、有り得ない場所に鎮座しているのだから。
「ル、ルルーシュ! あんた何でこんな所に……!」
ルルーシュが行方不明になったという事件は、カレンの耳にも届いていた。
昨日久々に行ったアッシュフォード学園。教室に入ると珍しくあの小憎らしい顔がなく、しかし自分にはどうでもいいと思いながら席に着いた矢先、泣き出しそうな顔をしたシャーリーが飛び付いてきたのだ。
曰く、一週間前にルルーシュが忽然と姿を消し、連絡もない。携帯は部屋に置いてあった鞄にそのまま入っていたらしい。着替えなどの荷物がなくなっている様子はなく、家出ではない可能性が高い。スザクは時間さえあれば学園をサボってまで租界中を探しているが、全く手掛かりは掴めていないらしい。
『でね、なんだかちょっと変なの』
シャーリーの言葉を思い出す。
失踪した当初、シャーリーやリヴァルはすぐに警察へ捜索願を出した方がいいと主張したらしい。誘拐であるかもしれないからだ。
しかしミレイやスザク、そしてあのナナリーまでもそれを拒否したというのだ。
『おかしくない!? だって急に消えちゃったんだよ!? 普通じゃないよ! でも理事長に掛け合って探してる会長も、軍がない時以外は駆けずり回ってるスザクくんも、ナナちゃんでさえ警察には言っちゃ駄目だって……! ナナちゃんなんて、不安で堪らないはずなのに……っ』
『……確かに、妙ね……』
一週間前からいなくなったにもかかわらず警察に助けを求めない。しかしアッシュフォードが表沙汰にしたくないと思っている可能性は低い。この学園は生徒の自主性を重んじると同時に、生徒の安全性を第一と考えているのだ。それは理事長と会長を見ていれば自然と分かる。生徒を犠牲にしてまで無駄な威厳など張らないだろう。
なら、警察に知られてはまずい何かがある――?
『あ、それでね、此処からが本題なんだけど』
『え?』
深く思考に沈んでいたカレンだったが、シャーリーの一言に意識を戻さざるを得なかった。
『そんなわけで私達、なるべく情報を集めたくて……カレンは何か知らないかなって。ほら、シュタットフェルト家って結構有名な貴族だし……』
『……ごめんなさい、分からないわ。私、そのことを知ったのも今で……』
『そっか……』
カレンの言葉に、シャーリーはおろか他のクラスメイトも息を吐く気配が感じられた。そういえばシャーリーと話している間、教室がやけに静かだった気がする。盗み聞きしていたのだろう。それほどこの事件は学園にとって重要ということなのだ。
しばらく見ないうちに学園全体の空気が重くなってはいないかと登校していた時から頭の片隅に感じていたが、これが原因かと気付く。
(あいつ……あんなんでも慕われてんのねぇ)
カレン自身は全く悪くないのだが、それでも皆に対する申し訳なささを感じ、気に入らないながらもいないならいないで気になる生徒会副会長の行方を案じた。
という出来事があったのがつい前日である。
しかし目の前には、その生徒達が心から心配し、カレンもそれなりに気掛かりだった人物が座っている。
しかも――、
「なんで女装してんのよー!」
黒を基調とし、紫の光沢を放つドレス。ふんだんにフリルがあしらわれたそれに、頭にはご丁寧にも艶やかに流れる長髪のウィッグ。髪飾りもきっちりしていて、男女逆転祭の時も――悔しいことに――美しかったが、この衣装もまた憎らしいほどに着こなしていた。
しかし、しかしだ。だからといって感嘆する暇などない。
彼が此処にいるのもまた大いに問題だが、なにより何故ドレスを平然と着ているのか。カレンの知るルルーシュは無駄にプライドが高く、男女逆転祭の時にも着せるのにあれやこれや脅し……否、説得をしたというが。
しかもこれだけ騒いでいるというのに、ルルーシュはぴくりとも反応しない。
無視しているのか。そう思うと自然にカレンは不機嫌そうに眉をひそめ、つかつかと座るルルーシュに歩み寄った。
「おいカレン――」
「るっさい! C.C.は黙ってて!」
C.C.をも一喝してルルーシュの胸倉を掴もうとするカレンだが、
「――何をしている」
一人の声が響いたことにより、その動きは静止した。
否、突然の声に驚いたこともあったが、それよりもカレンの動きを封じたのは、目の前の少年の変化。
「……――!」
微かに目を見開いたルルーシュは声の主へと顔を向け――その姿を確認するやいなや、華が咲くような笑みを浮かべたのだ。あの、皮肉屋で意地の悪い笑みしか浮かべないルルーシュが。
「な……っ!」
あまりの衝撃に固まるカレンの横を、ルルーシュはなんなく擦り抜ける。
カレンが我に返ったのは、滅多に聞かないゼロの驚いたような声が聞こえてからだった。
「ルルーシュ……!?」
はっと振り向けばゼロの胸に飛び込み頬を擦り寄せるルルーシュの姿。それを認識した途端、カレンの顔がさっと青ざめる。
「ル、ルルーシュ……! あんたゼロに対してなんて無礼な……!」
慌ててルルーシュを離すべく近付こうとするが、それはゼロ自身によって阻まれた。
「いい、構わない」
「しかしゼロ!」
「おーいカレン、なんかさっきすげー声聞こえたけど大丈夫かよぉ」
言い募ろうとするカレンの言を遮る間延びした声。
見れば、ゼロの後ろから先程会議に出席していた幹部らがぞろぞろと現れた。今の声は玉城だ。このやっかいな時に面倒な奴が――!
「いや、その……」
「何だよ言えないことかぁ? ……ん? なんだこの腕……」
カレンの珍しく歯切れの悪い物言いに不審がる玉城だが、ふとゼロの両脇から伸びる白い腕に気付いたのかゼロの横へと回り込む。
そしてその正体とぱちりと目が合った刹那、いきなり素っ頓狂な声を上げた。
「うわ、何だこれ! 美人! 超美人!」
その言葉に好奇心からわらわらと集まる幹部達。確かに玉城の言う通り、いや美人という言葉では足りないと思える姿に皆感嘆の息を吐いた。
「おい、あまり皆で近寄るな。怯えているだろう」
いきなり多くの人間に覗き込まれ、咄嗟にゼロの胸へ顔を埋めたルルーシュを、労わるように肩を抱いたゼロが言う。
ようやく自分達が随分失礼なことをしているのに気付き、慌てて幹部達は距離をとった。
「……で、なんでこんな美人が此処にいるんだ?」
「そう! そうですよゼロ!」
一つ咳ばらいした扇がとりあえず突っ込んどいた方がいいであろうことを述べるが、勢い込んだカレンに遠慮なく押し退けられた。憐れ。
「なんでルルーシュがこんな所に! しかも女装なんてしているんですか!」
と、此処で皆は「ん?」と首を傾げる。
扇とカレンの質問は多少ニュアンスが違うのだが、それより何よりも聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「………女装?」
一同が同時に発した疑問に、「は?」とカレンが訊き返した。
「いや、だから女装って……」
「そのままの意味です。ルルーシュは男ですから」
カレンの言葉に撃沈した者数名。しかしカレンにそれを突っ込む暇はない。
「それで、どうしてなんですか?」
スザクが必死になって探しているのを知っている。
ナナリーが泣きそうなくらい不安な毎日を送っているのを知っている。
生徒会の人達が自分の出来得る限りでルルーシュを見付けようと頑張っているのを知っている。
そして何より、学園の皆がルルーシュの帰りを心待ちにしているのを、知っているのだ。
例え何かあろうとも、出来れば学園に帰してあげたい。
そう願ってのカレンの言葉に、しかしゼロは返事をしない。
「ゼロ!」
「……女装の件については、私は知らない。理由については……」
言い出したかと思えば途中で口をつぐんでしまうゼロ。仮面越しでは今ゼロはどんな表情で、何を考えているのか分からないことに、カレンは初めて歯痒さを感じた。
「――仕方ない。私が話してやろう」
室内に妙な沈黙が流れる中、不意に不遜な女の声が響いた。
チーズ君片手にピザを食べていたC.C.は、チーズ君をぎゅっと抱き直して口を開く。
「C.C.は知ってるの?」
「嗚呼。まず女装。これは私がやった」
「……やはりか」
予想していたのかゼロが呆れた声で言う。しかしC.C.は黙殺して話を続けた。
「此処最近ずっと指令室に篭りっぱなしだったからな。たまには気分転換をさせようとたまたまあったドレスを着せた」
「……たまたまにしてはサイズがぴったりだが」
恨みがましいゼロの声もこれまたC.C.は見事に黙殺。
「最初は不思議がっていたが、『ゼロが喜ぶ』と言えば嬉しそうに着たぞ。――ほら、今もお前を窺いみているだろう」
は、とゼロが見下ろせば、目尻を下げたルルーシュがじっとこちらを見上げていた。おそらく喜ばないどころか声にやや怒気が混ざっているのを察し、自分は悪いことをしたのかと思っているのだろう。
「あぁ……ありがとうルルーシュ、嬉しいよ」
瞬時にルルーシュの心情を悟ったゼロがそう言って頭を撫でると、不安そうだった顔が途端に満面の笑みになり、嬉しそうにゼロの胸に擦り寄る。
その一連の動作に、一同は愕然とした。
「あんなゼロ……見たことない」
「こっ、これはどういうこと!? さっきから大人しく女装したりゼロに抱き着いたり擦り寄ったり! ルルーシュだったら有り得ない!!」
「人の話は最後まで聞け。説明すると言っただろう」
カレンの煩すぎる声にうんざりしながらもC.C.は端的に語りはじめた。
「単刀直入に言うが、今のルルーシュはお前の知っているルルーシュに見えてルルーシュではない」
「どういう意味よ」
「まぁ……記憶喪失みたいなものだな」
「記憶喪失?」
聞き返すカレンに是と頷く。
「騎士団の作戦中に巻き込まれた民間人だ。記憶喪失、そしてその時のショックで声も出ない」
「……なら、民間の警察に任せればいいじゃない。なんでこんな……」
ゼロを中心とした黒の騎士団は弱者の味方だが、だからといって彼らに全く危害を加えないわけではない。例え意図的ではなくとも、今まで確かに自分達は弱者を――民間人を犠牲にしてきた。C.C.の言う通りなら、ルルーシュもその犠牲の一つだろう。なら、今まで軍に任せていたものを譲らない理由とは――。
「顔を、見られたんだ」
「え?」
「ゼロの素顔だ。記憶を失う前にな。そうなれば、軍に渡すわけにもいかんだろう」
ゼロの素顔。それは幹部でさえ知り得ない最重要機密だ。もしそれを見てしまった少年が軍に保護され、記憶を取り戻したら――ゼロが危うくなることは必至だろう。幹部はともかくゼロがブリタニア人だと知らない団員達は、そんなゼロに不信感を生むかもしれない。そしてそれは確実に、大きな波紋を呼ぶ。
「じゃあなんで素が――」
「素顔を見られたかなんて訊くなよ。そんな余計なことを話すのは面倒だ」
カレンを遮ったC.C.の言葉はまさにカレンが言わんとしていたことで。
ぐっと唇を噛み締めたカレンをニヤリと笑い、C.C.は言う。
「だからと言って殺すのは弱者の味方と銘打つ騎士団の理念に一致しない。だからゼロが保護した。そうしたらルルーシュが懐いた。以上だ」
だから、とC.C.は付け加える。
「この子供の存在は騎士団にとって重要だ。何が何でも守り抜け。それこそゼロと同じように。………分かったな、カレン」
最初は幹部全員に、最後の一言はカレンに対し釘を刺すように言う。
それはルルーシュを学園に帰したいと思うカレンの心中を悟ったかのようで、カレンはぎくりと肩を震わせた。
「……分かったわよ。理由が理由だもの」
言った瞬間、学園の皆の姿が頭を過ぎった。
わいわいと騒ぐ幹部の横を自然にC.C.は通り過ぎた。先程から主に喚くのは玉城で、ルルーシュを守ることについて勢い込んで語っている。他の者にも不快な顔は見えないことに、C.C.は内心で安堵した。
唯一不安定そうなカレンにも釘を刺したし、問題はないだろう。
「ゼロ」
未だ動かないゼロを見上げる。
「あいつらが莫迦やってる間にルルーシュを連れていけ」
「……分かっている」
言いたいことが山ほどあるであろうゼロは何とかそれを殺し、ルルーシュの手を引いた。
「どういうことだ、C.C.」
指令室に戻りルルーシュを寝かしつけたゼロは、すっと目を細くしてC.C.を睨んだ。
しかし素知らぬフリを通したC.C.はピザを片手に平然と口を開く。
「お前は突発的な事態に弱いからな。頭が回転していないお前に変わって辻褄の通る理由を言ってやったんだ。感謝してほしいな」
「白々しいことを言うな! 元々あいつらにルルーシュの存在を知らせる必要などない!」
「だがあいつらに知られるのは時間の問題だった。違うか?」
「……っ」
「立派な独占欲は結構だが、客観的に行動出来ないなど愚鈍だぞ」
「……分かっている」
「分かっていないな。己の感情にだけ従順でルルーシュのことなど考えていないお子様など」
「黙れ。私利私欲の為にルルーシュを利用したくせに……!」
「言っただろう、あいつへの気分転換だと。図星だからといって僻むなよ」
口は達者なはずのゼロは、しかし未だこの魔女だけには勝てた試しがない。
だからせめてもと睨み返すと、おいおいと肩を竦められた。
「別に私はお前と口論する気はない。ただ、ずっと此処に軟禁させずルルーシュに気分転換させろと言っているのだ。お前があの子にかけたギアスは曖昧で未知数だからな。少しは人間らしいことをさせなければ、着実にルルーシュの何処かが蝕まれるぞ」
「しかし……何をさせれば、」
「外に出掛けるのが一番手っ取り早いな」
何ともなしにC.C.は言うが、それは問題がありすぎる。
「それでは私も素顔で歩かなければならないではないか。双子だし目立つ。確実に見付かるぞ」
「なら変装すればいいだろう。やり方によっては見目麗しいカップルに見えなくもない」
「そんな道具持ってるわけが……」
「あるぞ」
「………」
まさかとゼロが見遣れば、C.C.はそれはそれは楽しそうに笑っていた。
濁りし時を生きる彼に
2008.10.22